人生における家族と仕事

昨日、父に人生で目標にしてきたことと現実とのギャップについて「どう折り合いをつけたのか?」と尋ねた。自分の人生を振り返って今、どうも若かりし頃の父と似たような状況になっていると感じたからだ。

父は東京の某有名私立大学の法学部で司法試験に挑んでいた。弁護士になりたかった。試験勉強をしてい頃は、とても難しい試験ではあるが、周囲の幾人かは実際に合格していくのを見ていると、次は自分が受かるだろうという思いもあったようだ。大学卒業後も東京に残って勉強を続けたが合格しなかった。じゃあなにが帰郷を決意させたのかというと色々な事があるが、カネの切れ目も大きかったという。両親はいつ合格するかわからない息子の姿を想像し、「もうええやん、帰って家業を継げばよい」と彼の心身を心配した。結局、30歳になって東京を引き揚げて実家に戻った。その後は昔ながらなのか、トントンと結婚が決まり(決められ?)、夫婦での生活を始めたが、それでもなお司法試験の勉強は続けていた。彼の心情と当時の合格平均年齢が32歳であったことを考えれば特別なことでもないのだろう。

ある日、大学の後輩で同郷者がウイスキーのボトルを1本持って家に尋ねてきた。「俺、合格した」という言葉は、父の青年期におけるひとつの衝撃であったらしい。まるで昨日のことかのように細部まで話す彼の言葉には、一瞬の大きさを物語っている。その後は子どもが産まれ、仕事も忙しくなり、父親業と仕事が大勢を占めることになり司法試験を諦めていく。

「弁護士」ー「飲食業」

職業に貴賤はないとは言え、ここに落差を感じるのも無理はないと思う。今も尚な部分はあるかもしれないが、50年前ともなると飲食業や料理人の社会的地位は決して高かったとは言えない。目標と現実のギャップ・・・。

「その現実に父はどうやって折り合いをつけたのか?」

答えは想像以上にシンプルなもので、言ってしまえば家族ができたから。とりわけ子どが産まれ、育てていくことはとても大きい喜びと生き甲斐を与えてもらったというものだった。あとは少数ではあるが、同じように東京で大学生活を過ごし、故郷に帰ってきた同世代の人が存在したことも助けになったという。ある友人は「俺らは、まぁ、敗残兵みたいなもんやな」と笑った。

「妻と子ども」、そして「少数の友人」

父の青年時代は私にとってはTVで見られるようなモノクロでしかなかったが、大きな間違いだった。個人の生は常に色彩で満たされている。結局、心から愛し、愛される関係があれば人間は生きていける。自分のことを気にかけてくれる人の存在。それさえあれば、いずれにしても人が創り上げた社会的価値や経済的価値に執着せずとも幸福感を得ることができるということだ。そのときになって、父は本当の意味で地に足がついたのかもしれない。

加えて父はこう言った。

「今から考えると、もしあのとき司法試験に受かっていたら、私はとても鼻もちならない人間になっていたと思う。人を小ばかにしたり、切り捨てたり、そんな人間になっていただろう。だからある意味では、これでよかった」

職業など仮の姿だ。必要ではあるが本質ではない。私もこの歳になって、いまだに「自分の職業」なるものに自信がなかったり苦悩したりしている。しかしこの苦悩は悩むべき・考えるべき内容ではない。職業など生きていくための仮の姿でしかない。ならば仮の姿としての仕事などなんでもよいではないか。人間の本当の仕事とは、自分がなぜ生きているのか、なぜ生きなければならないのか、なぜ辛い思いをしなければならないのか?人生とはなんなんだ?ということについて苦悩することだ。それが宿命的な苦悩=仕事であるなら、死ぬまで悩み続けることに意味がある。他の悩みなど悩みにも入らない。

人生における家族と仕事

私も地に足がついた。